2016年1月24日日曜日

九份 「千と千尋・・・」とは無関係だった!

 九份はもともとは何もない一寒村に過ぎなかったが、19世紀末に金鉱が発見されたことで徐々に町が発展し、日本統治時代に町としての最盛期を迎えた。その後70年代に金鉱が閉山されてからは急速に衰退し、一時は人々からも忘れられた町となっていたが、80年代末に侯孝賢監督が2.26事件を題材とした映画「悲情城市」のロケに使ったことで再び町として脚光を浴びるようになった。
 現在では映画のロケに使われた街路を中心に「悲情城市」の名前を付けたレトロ調で洒落た喫茶店やみやげ物屋などが次々に建ち並ぶなど、かつての金鉱の町から観光地へとその姿を変えており、台北などの大都市から比較的手軽に遊びに行ける観光地として、週末を中心に多くの人々で賑わっている。映画のシーンからもわかるとおり九份の街並みは日本統治時代の面影を色濃くとどめた、全体としてレトロ調な街並みであり、当時の酒家(料理店)などの建物も多数残されている。
 日本では宮崎駿監督のアニメ映画「千と千尋の神隠し」のモデルになった街として紹介されることが多いが、宮崎駿本人はこれを否定している。しかし、旅行業界では公然の事実として扱われており、日本人のツアー客が多いのには驚かされる。

 我々が訪れたのは雨の降る月曜の夕方であったが、年末で休暇の人も多い時なのだろうが、立錐の余地もないほどの大混雑で傘を眺めに行ったようなものだった。










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