2015年2月28日土曜日

切り干し大根の煮物

 我が家では、ブリのアラ煮を食べた翌日は、切り干し大根の煮物を作る。出汁の効いた煮汁を有効活用しなければもったいないですからね。
 

 作り方は簡単で、切り干し大根を水戻しした後水を切る。切り干し大根と具材(今回はにんじんと薩摩揚げを使ったが、油揚げでもいいし、冷蔵庫にあるものを入れればいいんじゃない)をフライパンで炒める。その後、ブリアラの煮汁をひたひたに注ぎ込みほぼ水気が飛ぶまで火にかけるだけ。

 先週はそれでも煮汁が残ったので、冷凍の子持ちカレイの切り身を買ってきて煮て食べた。これもブリアラの煮汁をそのまま使えるので、手間いらずで気に入っている。

 ブリアラの煮汁を活用するには、昨日紹介したように下処理をきちんとしていなければならない。手を抜くと生臭さが邪魔をしてしまい、料理とはほど遠いものになってしまう。







2015年2月27日金曜日

大根とブリのあら煮

 ブリと言って一番有名なのは「氷見の寒ブリ」だろう。ブリは回遊魚なので、地方によって捕れる時期が異なる。神奈川県では3~4月に回遊するので、これからブリが出回る季節になる。身は切り身や刺身にされるが、当然アラも出る。昔から漁業が盛んだった小田原では、このアラを大根と煮て食べる。最近ではポピュラーな料理として居酒屋メニューの中でも主役級の扱いだ。
 

 ブリアラも大根も安い食材だが、一手間かければ大変美味なおかずにもなるが、手間を惜しむと生臭くて食べられた代物ではなくなる。最近はインターネットでレシピを調べることができるので、参考にすることが多い。「クックパッド」以外にも年々増えてきて、情報過多でかえって混乱することもある。

大根は3cmぐらいの厚さで輪切りにし、やや厚めに皮をむく。太いものであればさらに半月状に割ってもよい。切り口の角の部分を面取りし、米の研ぎ汁で20分ほど茹でる。皮むきや面取りにはピーラーを使うと包丁扱いに不慣れな人にも便利だ。大根が冷めたらアクを洗い流し、水を切る。


ブリアラは多めの粗塩をふって少し置き、ざっと混ぜ合わせてから、流水で洗い、エラや内臓の残りや血などを除いておく。

たっぷりの湯を沸騰させ、ぶつ切りにしたアラをザルなどにのせ、湯をゆっくりと回しかけて、表面がさっと白くなった“霜降り”状にする。

これで下準備はOKだ。
醤油・酒・味醂・砂糖で煮汁をつくるのだが、食材の分量とお好みで味付けする。臭い消しとして、煮汁の中に秋に作っておいた乾燥生姜を数片入れる。
ブリアラを下(煮汁に浸るように)、大根を上に載せて、落としぶた代わりにアルミホイルを載せて、20~30分煮込む。

できあがり

冷めると味がしみるので、時間に余裕を見てつくる方がいい。食べるときに暖めるかどうかは、好みの問題でしょ。


 

2015年2月26日木曜日

伊豆箱根鉄道 大雄山線 飯田岡駅

 小田原フラワーガーデンに花(ウメ、バラ、ハナショウブ、アジサイなど)を見に行くときは、まずは大雄山線の飯田岡駅を目指す。友人と一緒に出かけるときは、この駅で待ち合わせる。そして、1.6kmの急坂を自転車を押して登る(還暦を過ぎたら無理はしない)。公称20分ということになっているが、あまりの急坂のため、見ているとお年寄りの歩みは遅い。30分近くかかるのではないだろうか。

 
 さて、小田原から南足柄まで走る鉄道が「伊豆箱根鉄道」と聞くとちょっと違和感がある。これには訳があり、大正時代に小田原-大雄山間に「大雄山鉄道」が開業する。1941年に大雄山鉄道は「駿豆鉄道」に吸収合併され、1957年「伊豆箱根鉄道」に改称された。だから伊豆箱根鉄道の鉄道部門は、一見接点がないように見える駿豆線と大雄山線から成り立っている。

 もう一つ、豆知識!

 小田急線の駅名に「富水」駅がある。小学校にも富水小学校・東富水小学校、保育園にも富水保育園というのがあり、××富水店という店も多い。そのため「富水」という地名があると思っている人が多いが、「富水」という地名は存在しない。富水小学校は飯田岡、東富水小学校は中曽根に存在している。大雄山線の飯田岡駅は富水小学校の直近の鉄道駅ということになる。


通勤通学の時間帯以外は人影は少ない

無人駅、切符の自販機もあるが、今はほとんどの人がパスモかスイカだろう


ローカル線とバカにしていたら、1時間に5本も走っていてビックリした


35年前に通勤に使っていた頃は、冷房車は1編成しか無くて、あとはぼろぼろの車両だったのだが、綺麗な車両に感動すら覚える


切符の降車客がいるときは車掌が対応する。車掌さんも忙しそうだ

2015年2月25日水曜日

小田原梅まつり 梅の里散歩

 梅まつり期間中多くの観梅客が曽我梅林を訪れる。ある人は自家用車で、ある人はバスで別所会場の入り口まで来て梅林の中をハイキングがてら梅の花を観て歩き,下曽我駅から列車に乗って帰る。自転車で訪れる梅見客は少数派だろう。曽我の梅の里を梅目的以外で歩いてみるのも、新しい発見があって面白い。

梅の里の玄関口 下曽我駅

 
 ローカル駅だが無人ではなく駅員がいる

駅前の様子


 
瑞雲寺の奥には中河原配水池の大きなタンクが2つ見える。
高田浄水場でつくられた水道水のほとんどが、この中河原配水池に送られ、小田原市の約7割の地域にここから水道水が送られているとは知らなかった。

中河原配水池から見た富士山は雄大だった

御殿場線の踏切に引っかかったときは幸運だと思うようにしている。
だって、一時間に1本の列車に当たる確率は・・・と考えると・・・

国府津駅と下曽我駅の間から松田駅近くまでの約8kmの間の線路は直線で、これだけ長い直線区間は関東の鉄路としては珍しいらしい。
下曽我駅の松田方面に通称「眼鏡橋」といわれる跨線橋がある。

眼鏡橋は実は「砂留田川」という川だった。川が線路の上を渡っているなんて、小田原の珍風景の1つに数え上げられるよね

2015年2月24日火曜日

国府津車両センター

 
 国府津車両センターは、小田原市にあるJR東日本横浜支社の車両基地である。御殿場線の国府津駅と下曽我駅のほぼ中間に位置し、御殿場線の線路の西側に並行している。主な役割は仕業検査と交番検査を担当している。

 曽我梅林の別所会場とは、御殿場線を挟んで反対側になる位置関係だ。一般人は立ち入りができないので、車両センターの電車を眺められるのは、国府津駅寄りの跨線橋の上もしくは下曽我駅寄りの踏切付近となる。国府津寄りの跨線橋の上からは、天気が良ければ車両の背景に富士山を見ることができる。

 電車が好きな方は、観梅のついでに覗いてみたらいかがだろう?


国府津駅寄り跨線橋の上より



下曽我駅寄り踏切付近より



2015年2月23日月曜日

2月23日は富士山の日

 2月23日は「富士山の日」もしくは「富士見の日」だそうだ。
その他にも つ つ み =包み から「風呂敷の日」、「妊婦さんの日」などが知られている。また、トリノオリンピックで荒川静香が金メダルをとった日でもある。
 2月23日生まれの有名人は、北大路欣也・宇崎竜童・野口五郎・中島みゆき・亀梨和也・石川佳純など






2015年2月22日日曜日

山角天神社に芭蕉の句碑を見た

 本格的な梅の季節に入ったところで、余談を1つ!

 先日清閑亭に行った折、近くに芭蕉の有名な句の句碑があったことを思い出した。高校のときに友人に連れて行ってもらったことが、フラッシュバックした様に思い出された。20日(金)2日ぶりの好天に誘われて、出掛けてみた。

 一般には「梅が香に のっと日の出る 山路かな 」と表されて、俳句に関心のない人にもよく知られた有名な句である。ここ山角天神社の石碑には「有米家可耳乃都登日能伝る山路閑難」と書き表されているので、知らなければ難しい句だなと思うだけで終わってしまうところだ。句の内容をごく簡単に解釈すると、早春の山道を歩いていると、梅の香りにさそわれるかのように、太陽がのっという感じで顔を出したという春の喜びを味わっている内容である。

 この句は小田原でつくられたというものではないが、この碑は文政三年(1820)に建てられたもので、天神社は梅花に縁のあるところからこの場所に建碑されたようだ。また、旧小田原城三の丸外郭土塁は梅の名所であったらしいことも関係していると思われる。

 山角天神社は南町の国道一号線の1本北側の通りの西のどん詰まりにある


句碑と歌碑の説明

句碑

歌碑

本殿

ここにも天神様の童歌の石碑があった
 
ネットで調べたところ、芭蕉の句碑は小田原市内にはもう一ヶ所ある。酒匂の保健センターの近くに大経寺という住宅に囲まれた小さなお寺の本堂前の梅の木の隣にある。「人も見ぬ春や鏡のうらの梅」とこちらも梅を詠ったものである。

2015年2月21日土曜日

小田原梅まつり 原会場

 小田原梅まつりは、小田原城址公園会場と曽我梅林で行われる。曽我梅林は別所会場・原会場・中河原会場の3ヶ所からなる。曽我梅林は、富士山と箱根連山を背景に、約3万5千本の梅が一面に咲き誇る。梅まつり期間中の週末は、それぞれの会場で様々なイベントが行われる。

 また、小田原フラワーガーデン「渓流の梅林」や辻村植物公園でも観梅を楽しむことができる。

 

 原会場は下曽我駅から一番近く、上り下りがないので足に自信のない人でも楽しむことができる。