2015年3月14日土曜日

小田原城内高校 ああ無情!

 今日は父の七七日忌の法要だ。1月31日のドタバタ帰国劇が遙か昔のように感じらる。今から考えても、よくぞ翌日に帰れたものだと思う。世が世なら「バンコク大返し」で天下が取れたかもしれない・・・

 話変わって・・・
 清閑亭と道を挟んだ向かい側に、旧小田原城内高校の跡地がある。神奈川県立小田原城内高校は1903年(明治36年)に開校した「小田原高等小学校女子部補習科」を前身とする、全国でも珍しい公立の女子高等学校であった。100年の歴史を持つ学校であったが、神奈川県の「県立高校改革推進計画」により、2004年に神奈川県立小田原高等学校と統合された。現在、小田原城の玄関口である学橋付近の開校の地に「建学100年記念碑」が淋し気に建っている。

 小田原城内高校跡地(小田原市南町)は国際医療福祉大学に約7億5400万円で売却された。その後どうなったかが気になり覗いてみると、体育館は耐震補強工事をして残すようだが、その他の校舎は取り壊され撤去されている。基礎も掘り返しているので、校舎のあった場所は大きな穴が空いている状態だ。

 神奈川県西部に生まれたら、男なら小田原高校を、女なら小田原城内高校を目指すというのが昭和の時代の1つの流れだった。小田原城内高校の跡地(私の目には廃墟に映ったが)の様を見て、「昭和は遠くなりにけり」と呟いた。


旧正門と補修中の体育館

国際医療福祉大学のものになり、地元の瀬戸建設が工事中

小田原城内高校の痕跡

校舎はなくなり、大きな穴が

通用門から工事車両が出入りするようだ    小田原城が綺麗に見えるのは皮肉だ

テニスコート周辺はまさに廃墟

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