2015年2月16日月曜日

小田原街歩き 清閑亭

 清閑亭は、明治時代に活躍した黒田長成(ながしげ)侯爵の別邸として、1906年(明治39年)に現在の小田原市南町に建てられた。旧小田原城三の丸外郭土塁の南向き傾斜地に立っており、晴れた日は母屋から真鶴半島や大島を望む相模湾や箱根山を一望できるということだ。建物は、格式ばらない数寄屋風の造りで、平屋と二階家が連なっている。建物内には板絵襖や網代組天井など優れた意匠も見ることができるようだが2月いっぱいは工事中で、現在は2部屋が開放されているのみである。
 
 黒田長成は、昨年NHKの大河ドラマ「軍師 官兵衛」の主人公であった黒田如水の子孫である。官兵衛の子長政が関ヶ原の功を認められ、筑前福岡に52万3千石の大封を与えられたのが福岡藩の始まりである。福岡藩は12代長知のときに明治維新を迎えている。長成は1967年5月5日、筑前福岡藩主・黒田長知の長男として生まれた。明治維新後、福岡から東京へ上京し、1885(明治18年)にケンブリッジ大学に入学、1887年(明治20年)に学士号を取得し卒業する。父長知の隠居により、12歳で黒田家家督を相続した。

 その後、宮内省の式部官、貴族院議員、修猷館(しゅうゆうかん・福岡藩の藩校で、現福岡県立修猷館高等学校)の第3代館長を経て、1894年(明治27年)から1924年(大正13年)までの約30年間にわたり、貴族院副議長を務めた。1924年に枢密顧問官に任ぜられ、終生その官に身を置き、1939年(昭和14年)亡くなった。明治天皇・大正天皇の信頼も厚かったといわれる人物である。

  清閑亭は 黒田長成逝去後の1941(昭和16年)には浅野侯爵家に譲られ、戦後東京国立博物館館長・浅野長武の自宅として使用された。この浅野家時代に敷地の過半が分譲され、小田原城三の丸外郭の水堀を利用した庭園や広大な梅林が失われた。その後、第一生命の所有を経て、2008年(平成19年)に敷地・建物を小田原市が取得、2010(平成22年)から小田原邸園交流館・清閑亭として一般公開されている。入場無料。


清閑亭入り口   旧城内高校正門と道を挟んだ真ん前にある

手入れされた庭に紅梅が春を告げていた




建物への入り口


2月いっぱいは2間だけの解放  1部屋は雛飾りが、1部屋は喫茶



建物内から見る相模湾方向   明治時代は木も低く家も少なく、もっと海が見えたのだろう
 

2 件のコメント:

  1. 雛飾りは何セットか展示されているようですね。
    紅梅と青空を見ていると、日本の春もすぐ近くまで来ていることが感じられます。

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  2. 行きずり さん
    ところがどっこい、明日の最高気温予報は6℃、明後日は8℃です。明日は場合によっては雪が降ると言われています。経済同様に日本の春は遠いようです。

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