チャンタブリーのバスターミナルの北東方向に Lak Muang (市の柱)がある。その Lak Muang の隣に Taksin Maharat Memorial はある。 Lak Muang が修復工事中だったこともあるのだろうが、参拝者は圧倒的に Taksin Maharat Memorial の方が多い。
18世紀半ばにビルマ軍によってアユタヤ王朝は滅ぼされたが、タイの国土を取り戻したのはタークシンである。タークシンは廃墟になったアユタヤを捨て、トンブリに王朝を開きアユタヤ王朝時代の版図を取り戻した。トンブリ王朝はタークシン一代で終わるが、それはタークシンが晩年精神錯乱をきたしたために、現王朝の祖チャオプラヤー・チャックリー(ラーマ一世)により処刑されたからである。タークシンは潮州出身の華人(タイ人ではない)であったことも関係しているのかもしれないが、真実は歴史の中の闇の部分である(いつの世も歴史は勝者に都合がいいように書き換えられる)。アユタヤから逃れたタークシンがビルマ討伐の兵を起こしたのがラヨーンであり、最初の戦いはチャンタブリーであったという。それゆえタイ東南部でのタークシン人気は根強いものがある。
訪れる人が途切れることはない
こちらはタークシン王公園にある銅像
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