12月29日(5日目)は旅行の最終日である。午前中は3時間の故宮博物院の見学だ。2時間ほどかけてガイドさんについて歩き、主だった物の鑑賞と解説を聞く。その後1時間ほど自由見学の時間となり、ある人はショッピングをしたり、またある人は見そびれたお宝を探しに行ったりと自由気ままに時間を過ごす。ただ、博物館の中は写真撮影ができない(入り口で厳しくチェックされる)ので、写真はない。
その後、お決まりのことだが免税店に連れていかれる。もう空港で荷物を預けるための荷造りはしてあるので、今更買い物をして荷物を増やす人はいないのだが・・・
そして、ついに台湾最後の食事に「金品茶樓」を訪れる。ここは40年近く続くお茶の名店「金品茗茶」が始めたレストランで、小籠包コンテストで優勝したこともある人気店ということだ。なぜか日本人の団体が目立った(日本人率約8割)。
数年前に職場を早期退職したが、二人の息子たちも社会人になり、それぞれ素晴らしい女性と結婚をした。これで父親の役目は一段落というところだ。還暦は過ぎたが、まだまだ気持ちは若く,これからが第二の人生と意気込んでいる。家庭菜園を借りて野菜を作り,気が向けば酒匂川のサイクリングコースで風を切り,秋には毎週ボート釣り。そんな日本での日々を備忘録代わりに綴ってみる。 年に3回の訪タイも年々長期となり,近年はついに延べタイ在日数50日を上回るようになった。Facebook を通じてできたタイの友達と釣りに行ったり,飲みに行ったりという日々を夢見て楽しみにしている。ハンドルネームの「佐羽井 出居」はタイ語の สบายดี サバイディー 【元気です】という意味の言葉より引用した。元気がほしくなったら立ち寄ってみてほしい。
2016年1月26日火曜日
2016年1月25日月曜日
台北の宿 台北馥敦大飯店・南京館
4泊目(最終夜)の宿泊ホテルは台北馥敦大飯店・南京館、英語表記では TAIPEI FULLENTON HOTEL EAST。一応今回の旅行では前3泊がスタンダードホテル、最終日の台北のホテルはデラックスホテルということだが、なるほど新しい立派なホテルだ。設備・備品・調度品・バスアメニティにその片鱗が見てとれる。窓の外に台北101タワーが見えるのもいい。ただ、今までのホテルのベッドがセミダブル2台のツインルームだったのだが、ここだけがシングルベッドが2台だったので、何か窮屈な感じがした。ツインルームなのだから、シングルベッド2台で全然問題はないのだが・・・
2016年1月24日日曜日
九份 「千と千尋・・・」とは無関係だった!
九份はもともとは何もない一寒村に過ぎなかったが、19世紀末に金鉱が発見されたことで徐々に町が発展し、日本統治時代に町としての最盛期を迎えた。その後70年代に金鉱が閉山されてからは急速に衰退し、一時は人々からも忘れられた町となっていたが、80年代末に侯孝賢監督が2.26事件を題材とした映画「悲情城市」のロケに使ったことで再び町として脚光を浴びるようになった。
現在では映画のロケに使われた街路を中心に「悲情城市」の名前を付けたレトロ調で洒落た喫茶店やみやげ物屋などが次々に建ち並ぶなど、かつての金鉱の町から観光地へとその姿を変えており、台北などの大都市から比較的手軽に遊びに行ける観光地として、週末を中心に多くの人々で賑わっている。映画のシーンからもわかるとおり九份の街並みは日本統治時代の面影を色濃くとどめた、全体としてレトロ調な街並みであり、当時の酒家(料理店)などの建物も多数残されている。
日本では宮崎駿監督のアニメ映画「千と千尋の神隠し」のモデルになった街として紹介されることが多いが、宮崎駿本人はこれを否定している。しかし、旅行業界では公然の事実として扱われており、日本人のツアー客が多いのには驚かされる。
我々が訪れたのは雨の降る月曜の夕方であったが、年末で休暇の人も多い時なのだろうが、立錐の余地もないほどの大混雑で傘を眺めに行ったようなものだった。
現在では映画のロケに使われた街路を中心に「悲情城市」の名前を付けたレトロ調で洒落た喫茶店やみやげ物屋などが次々に建ち並ぶなど、かつての金鉱の町から観光地へとその姿を変えており、台北などの大都市から比較的手軽に遊びに行ける観光地として、週末を中心に多くの人々で賑わっている。映画のシーンからもわかるとおり九份の街並みは日本統治時代の面影を色濃くとどめた、全体としてレトロ調な街並みであり、当時の酒家(料理店)などの建物も多数残されている。
日本では宮崎駿監督のアニメ映画「千と千尋の神隠し」のモデルになった街として紹介されることが多いが、宮崎駿本人はこれを否定している。しかし、旅行業界では公然の事実として扱われており、日本人のツアー客が多いのには驚かされる。
我々が訪れたのは雨の降る月曜の夕方であったが、年末で休暇の人も多い時なのだろうが、立錐の余地もないほどの大混雑で傘を眺めに行ったようなものだった。
2016年1月23日土曜日
台北忠烈祠
忠烈祠とは辛亥革命を始めとする中華民国建国および革命、中国大陸での日中戦争および国共戦争などにおいて戦没した33万人の兵士の英霊を祀る祠である。台湾には忠烈祠が各地にあるので、台北にあるものは台北忠烈祠、圓山忠烈祠あるいは大直忠烈祠とも呼ばれている。これら全土の忠烈祠のうち、衛兵が警護しているものは、この台北の忠烈祠だけという。
日本統治時代は台湾護国神社が当地に建立されていたが、その跡地に1969年に台北忠烈祠は創建された。大門をくぐると中央広場があり、その奥に中国の宮殿様式の大殿があり、左右の文烈士祠、武烈士祠がある。見どころはたくさんあるが、ツアーで回る観光客の目当ては、1時間ごとに行われる衛兵交代だ。セレモニーの所要時間は約20分間。残りの40分間はまるで蝋人形のように微動だにしない。瞬きもしないといわれている。
日本統治時代は台湾護国神社が当地に建立されていたが、その跡地に1969年に台北忠烈祠は創建された。大門をくぐると中央広場があり、その奥に中国の宮殿様式の大殿があり、左右の文烈士祠、武烈士祠がある。見どころはたくさんあるが、ツアーで回る観光客の目当ては、1時間ごとに行われる衛兵交代だ。セレモニーの所要時間は約20分間。残りの40分間はまるで蝋人形のように微動だにしない。瞬きもしないといわれている。
2016年1月22日金曜日
花蓮から台北へ 列車の旅
花蓮から台北へは普悠瑪 219号での列車の旅。普悠瑪列車専用のTEMU2000形電車は台鉄が太魯閣号(TEMU1000形電車)に次いで導入した第二弾の振り子式列車であり、日本車輌製造株式会社が製造している。この列車は曲線上で非振り子式列車よりも高速運行可能な設計とされ、カーブの多い花蓮-台北間で大幅な時間短縮を可能にしている。乗り心地はさすが日本製、バスより数段快適な旅を楽しめた。
駅の様子は日本とさほど変わらない
普悠瑪 219号
清掃中
台湾は公共のエリアはほとんど禁煙だ、嫌煙家には喜ばしい
日本の新幹線より座席はゆったりしている
12時13分発 ちょうど昼飯時
動き出してしばらくすると検札
台北に到着 台北駅は大きくて写真を撮ったりしていたら、逸れて迷子になりそう
駅の東3番出口
バスが待っていてくれた
駅の様子は日本とさほど変わらない
普悠瑪 219号
清掃中
台湾は公共のエリアはほとんど禁煙だ、嫌煙家には喜ばしい
日本の新幹線より座席はゆったりしている
12時13分発 ちょうど昼飯時
動き出してしばらくすると検札
台北に到着 台北駅は大きくて写真を撮ったりしていたら、逸れて迷子になりそう
駅の東3番出口
バスが待っていてくれた
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