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2018年6月8日金曜日

久し振りの新幹線 弁天島へ

 5月26日(土)同じ職場で若い頃を過ごした仲間で、浜名湖の弁天島に集まった。神奈川県在住者、静岡県在住者そして長野県在住者がいるのでこの地になった。小田原から新幹線を使えば、思ったより近いことに気づく。
 新幹線に乗るというだけで心はウキウキするが、東海道新幹線に乗るのは20数年ぶり、子供がまだ小さかった頃に京都へ行った時以来だ。その当時は「こだま」は0系、「ひかり」は100系だったと記憶しているが、今は「こだま」といえどもN700系の格好いい車両だ。






15号車(自由席)は幸運にも空いていた


浜松で在来線に乗り換える


弁天島に着いてまずは鳥居を見に行く

待ち合わせは「浜菜坊」という和食処  さすが大人だ無事全員たどり着いた
ここから先は飲食と話しに夢中で、写真を撮るのを忘れた



いい一日だった!

2015年3月14日土曜日

小田原城内高校 ああ無情!

 今日は父の七七日忌の法要だ。1月31日のドタバタ帰国劇が遙か昔のように感じらる。今から考えても、よくぞ翌日に帰れたものだと思う。世が世なら「バンコク大返し」で天下が取れたかもしれない・・・

 話変わって・・・
 清閑亭と道を挟んだ向かい側に、旧小田原城内高校の跡地がある。神奈川県立小田原城内高校は1903年(明治36年)に開校した「小田原高等小学校女子部補習科」を前身とする、全国でも珍しい公立の女子高等学校であった。100年の歴史を持つ学校であったが、神奈川県の「県立高校改革推進計画」により、2004年に神奈川県立小田原高等学校と統合された。現在、小田原城の玄関口である学橋付近の開校の地に「建学100年記念碑」が淋し気に建っている。

 小田原城内高校跡地(小田原市南町)は国際医療福祉大学に約7億5400万円で売却された。その後どうなったかが気になり覗いてみると、体育館は耐震補強工事をして残すようだが、その他の校舎は取り壊され撤去されている。基礎も掘り返しているので、校舎のあった場所は大きな穴が空いている状態だ。

 神奈川県西部に生まれたら、男なら小田原高校を、女なら小田原城内高校を目指すというのが昭和の時代の1つの流れだった。小田原城内高校の跡地(私の目には廃墟に映ったが)の様を見て、「昭和は遠くなりにけり」と呟いた。


旧正門と補修中の体育館

国際医療福祉大学のものになり、地元の瀬戸建設が工事中

小田原城内高校の痕跡

校舎はなくなり、大きな穴が

通用門から工事車両が出入りするようだ    小田原城が綺麗に見えるのは皮肉だ

テニスコート周辺はまさに廃墟

2015年3月11日水曜日

東日本大震災を忘れない!

 4年前の今日3月11日は未曾有の大災害で日本中が大混乱になった日として覚えている。先週あたりからテレビでは「東日本大震災」をとりあげる番組が増えた。もう四年になるのかという見方もできるし、復興は道半ばでまだ四年だという見方もできる。自然の圧倒的な力の前では、人間の知恵(備え)などまだまだ微力だという事実を突きつけられた災害だった。不幸にして亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、復興に尽力されている方々を応援いたします。

 思い出すのは3月11日以降テレビでは「ACジャパン」の暗いトーンのCMが増え(一般企業が相次いでCMを自粛)たため、日本中が鬱状態になった。そして、様々なイベントの「自粛」の連鎖。

 
 違和感を覚えたのは私だけだろうか?毎日毎日テレビから流れるのは、地震と津波そして原発事故の映像ばかり。日本に住む我々は、西日本は大丈夫だ、首都東京も大丈夫だと知っているからいいが、外国に住む人があの映像を見たら日本は壊滅したと思ったのではなかろうか?海外に対して日本は頑張れますよという情報発信があっても良かったのではないか?イベントも安易に中止せず、人が集まるのを利用して、募金活動でもやればよかったのではないか?

 4年前の3月末、私はタイへの旅行を計画していた。世の中の自粛ムードに影響され、一時は渡航を中止しようかとも考えた。しかし、「自粛」って何だろうと考えたとき無意味なことに気付いた。旅行を中止し、家に籠もっていたからといって、何も事態は変わらない。外から日本がどう見られているかを見てみるのもいい経験だと考え直した。

 バンコクに着いてみると、街中至る所で募金活動をしている。日本より早い対応に、感謝&感謝!タイ人にとっては非常に高額の500B、1000B札が募金箱の中に見える。有り難いと心の底から思った。

商業施設のGF  一番人通りの多い場所に



チャリティーTシャツ   とぶように売れていた


商業施設の入り口にも募金箱

BTS(高架鉄道)の各駅にも募金箱

コンビニのレジ前にも募金箱

たった2週間でチャリティーマラソンを企画

出国した後の免税店にも募金箱

その結果が、
 
 米国はもちろんだが国力・経済力・人口などを考慮すると、台湾とタイは忘れてはいけない大恩人だということがよく分かる。

 

2014年9月10日水曜日

十六夜(いざよい)の月を見て思う

 一昨夜(9月8日)は中秋の名月であったが、天気が悪く見ることはかなわなかった。

 昨夜は、アギーレ・ジャパンのサッカーの試合が始まった頃にまん丸の月が昇ってきた。現代では太陽暦の採用とともに風流の心が失われたのか、十五夜の月だけは知っているが、その他の月齢の月の名前は殆ど知られていない。

 主なものを挙げると
    新月(しんげつ;月齢0)、三日月(みかづき;2)、上弦の月(じょうげんのつき;6)
    十三夜月(じゅうさんやづき;12)、小望月(こもちづき;13)
    十五夜(じゅうごや;14)=望月・満月という呼び名も有名
    十六夜(いざよい;15)、立待月(たちまちづき;16)、居待月(いまちづき;17)
    寝待月(ねまちづき;18)、下弦の月(かげんのつき;22)、三十日月(みそかづき;29)

 それぞれの由来を調べてみると、なかなかあじがあっておもしろい。

9月に月を見ると思い出されるのは、3年前に高校の同級生の友人が亡くなったこと。通夜の時に夜空に輝いていた月(中秋の名月だったと記憶している)が、いまでも脳裏に焼き付いている。十六夜の月に向かって手を合わせ、冥福を祈った。

2013年9月13日金曜日

近づく中秋の名月に思うこと

 今年も9月19日に中秋の名月が近づいてきた。中秋の名月で思い出すのは、2年前に亡くなった友人のこと。昨日12日が命日だったので,三回忌が終わったことになる。通夜の日が中秋の名月で,皮肉なことに月が綺麗だったのを覚えている。

 秋の月を見るたびに,無念にも早世した友人を思い出す。             合掌!!

2013年5月26日日曜日

明日は坂井泉水さんの7回忌

 明日は坂井泉水さんの7回忌です。6年前の衝撃は忘れません。未だに訃報を報じたスポーツ新聞は捨てられずにいます。バブルがはじけ日本が自信を失い社会全体が暗くなっていた’90年代,ZARDの曲に励まされた人も多かったことでしょう。いまでも24時間テレビのマラソンの応援歌として「負けないで」は欠かせない一曲です。またこの曲を聴いて夏の終わりを感じる人も多いことでしょう。現在は社会人となった息子たちと毎週観ていた「スラムダンク」,いいところで話は来週へとなり,そこで流れる「マイ フレンド」。漫画は全巻そろっているけど,歌は入ってないからね。これを機にDVDでも借りて見直してみようかとも思ったりしています。

 7回忌を機にインターネットで足跡をたどってみようとして驚きました。未だにZARDのオフィシャルサイトがあるんですね。

http://www.wezard.net/index.html

 27日当日は中野サンプラザでフィルムコンサートが行われ,献花台も設置されるとのこと。まだまだ多くのファンに愛されているんですね。

 しかしもう6年か,早いものです。27日は「Golden Best」でも聴いてすごそうと思います。