2015年2月20日金曜日

2月の電気料金収支は赤字転落

 2月18日に電気メーターの検針があった。今年は例年に比べ異様に寒かったので、風呂や暖房に電気代がかかることは予想された。さらに昨年は私が1月2日から2月2日までタイに旅行に行っていたため、今年よりも電気の使用量は大幅に少なかったと考えられる。

 買電の結果は去年より12%増しの785kwh(昨年699kwh)、16808円であった。

 ところが寒いということは冬型の気圧配置の日が多い→太平洋側としては晴天の日が多いということになり、売電量が去年の299kwhから343kwhと小幅ながら増加となった。金額的にも16464円を記録したが、買電を上回ることはできず344円の赤字となった。

 できる限りの節電を心がけてきたつもりだったが、2月も中旬を過ぎた現在でさえ「真冬並み」の寒さが続いている。先月から始めた洗濯を2日に1回にする試みも効果があるのかどうかは短期間では分からない。洗濯機でどれほどの節電効果があるのかは分からないが、とりあえず続けててみようと思っている。


 

 

2015年2月19日木曜日

小田原梅まつり 中河原会場

 2月16日(月)、この日までは晴れて温かい天気予報。翌日からは気温一桁の雨模様の予報。西の空を見ると箱根山が綺麗に見えているので、おそらく富士山も見えるだろうと曽我梅林の中河原会場へ行ってみた。風は冷たく、目からは涙が出てくる。25分ほどかけて梅林に到着したときには、うっすらと汗をかいていた。これがくせ者で、このまま冷えると風邪をひく。自転車をカードレールにワイヤー錠で施錠して、梅園の中を歩き回る。

 梅酒や梅干しへの加工用の品種の花の色は白、開花期も遅いようで、小田原フラワーガーデンを観た後では、感動も薄い。しかし、ここから眺める富士山は一番のご馳走だ。特に中河原配水池まで登ると、視界が開け雄大な景色が広がる。

 また、古刹瑞雲寺もなかなかいい味を醸し出している。










2015年2月17日火曜日

何の花かな?

 小田原フラワーガーデンで梅見をしているときに、こんなネーム札が集まっている一画がありました。開花期は夏頃ということで、現在は冬枯れていて(本当は地を這うような目立たない葉っぱがあるんですが)、その花の姿を連想することもできません。








 
 学名の属名が「リコリス」となっているのに気付かれた方は、もうおわかりだと思います。彼岸花の仲間の園芸品種ですね。それにしても、どれも見てみたい魅力的な名前です。夏に思い出したら現物を見に行きたいですね。
 
 さらにベイスターズファンには必見の品種がありましたよ。
 
 
 


小田原フラワーガーデン 渓流の梅林 梅まつり

 小田原フラワーガーデンで梅の花が見頃との情報を得たので、15日(日)に行ってみた。この時期午前中の気温は一桁、午後は風が吹くという何とも出掛けにくい気候なのだが、気温が低くても陽射しがあれば暖かかろうと、午前を選択。曽我梅林や小田原城址公園は往復10km程度なのでママチャリでも十分な距離だが、フラワーガーデンは20km以上あるので今年初めてクロスバイクでの徘徊となった。

 10時頃に着いたのだが、日曜日ということもありなかなかの人出だ。曽我の梅林は本数は多いが白加賀などの加工用の品種が主体で、比較的遅咲きのものが多い。ここフラワーガーデンは、様々な品種の梅があり、早咲きのものは満開の時期を迎え、まだまだ蕾の遅咲きのものもあるが、全体としては見頃を迎えているものが多い。


農作物や花の直売の「朝市」


小田原おでんカーには行列ができていた

要するに見頃

梅園入り口

子供連れ、お年寄り連れの姿が目立つ


カメラを構える人の姿も目立つ


紅白入り乱れていると美しい



池の周りも

アップにも堪える花

2015年2月16日月曜日

小田原街歩き 清閑亭

 清閑亭は、明治時代に活躍した黒田長成(ながしげ)侯爵の別邸として、1906年(明治39年)に現在の小田原市南町に建てられた。旧小田原城三の丸外郭土塁の南向き傾斜地に立っており、晴れた日は母屋から真鶴半島や大島を望む相模湾や箱根山を一望できるということだ。建物は、格式ばらない数寄屋風の造りで、平屋と二階家が連なっている。建物内には板絵襖や網代組天井など優れた意匠も見ることができるようだが2月いっぱいは工事中で、現在は2部屋が開放されているのみである。
 
 黒田長成は、昨年NHKの大河ドラマ「軍師 官兵衛」の主人公であった黒田如水の子孫である。官兵衛の子長政が関ヶ原の功を認められ、筑前福岡に52万3千石の大封を与えられたのが福岡藩の始まりである。福岡藩は12代長知のときに明治維新を迎えている。長成は1967年5月5日、筑前福岡藩主・黒田長知の長男として生まれた。明治維新後、福岡から東京へ上京し、1885(明治18年)にケンブリッジ大学に入学、1887年(明治20年)に学士号を取得し卒業する。父長知の隠居により、12歳で黒田家家督を相続した。

 その後、宮内省の式部官、貴族院議員、修猷館(しゅうゆうかん・福岡藩の藩校で、現福岡県立修猷館高等学校)の第3代館長を経て、1894年(明治27年)から1924年(大正13年)までの約30年間にわたり、貴族院副議長を務めた。1924年に枢密顧問官に任ぜられ、終生その官に身を置き、1939年(昭和14年)亡くなった。明治天皇・大正天皇の信頼も厚かったといわれる人物である。

  清閑亭は 黒田長成逝去後の1941(昭和16年)には浅野侯爵家に譲られ、戦後東京国立博物館館長・浅野長武の自宅として使用された。この浅野家時代に敷地の過半が分譲され、小田原城三の丸外郭の水堀を利用した庭園や広大な梅林が失われた。その後、第一生命の所有を経て、2008年(平成19年)に敷地・建物を小田原市が取得、2010(平成22年)から小田原邸園交流館・清閑亭として一般公開されている。入場無料。


清閑亭入り口   旧城内高校正門と道を挟んだ真ん前にある

手入れされた庭に紅梅が春を告げていた




建物への入り口


2月いっぱいは2間だけの解放  1部屋は雛飾りが、1部屋は喫茶



建物内から見る相模湾方向   明治時代は木も低く家も少なく、もっと海が見えたのだろう
 

2015年2月15日日曜日

小田原梅まつり 小田原城址公園

 曽我梅林よりは海に近いので少しは期待できるかと、2月13日小田原城址公園に行ってみた。平日ということで観光客も疎らだ。花の季節でないと気付かないが、桜に比べて梅の木は少ない。紅梅は盛りを過ぎたものが多く、白梅はまだまだ咲き始め。常磐木橋の脇にある「寒ざくら」が一番目を引いたかな。

銅門の回りは見頃を迎えている


常磐木橋下の紅梅は満開

常磐木橋脇の寒ざくら


お城の入り口付近の紅梅は1本だけで淋しく咲いている
 銅門広場周辺


二の丸広場